東京地方裁判所 昭和36年(ワ)1180号 判決 1961年4月07日
原告(反訴被告) 服部博
右訴訟代理人弁護士 水本民雄
右訴訟復代理人弁護士 谷口欣一
同 吉田志郎
被告(反訴原告) 千葉幸吉
右訴訟代理人弁護士 横山正一
被告 竹内ミサヲ
右訴訟代理人弁護士 大竹昭三
主文
一、原告(反訴被告)の請求を、いずれも棄却する。
二、原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)千葉幸吉のため、別紙目録記載の建物について存する
(一)東京法務局麹町出張所昭和三一年一二月一〇日受付第一八九一〇号所有権移転請求権保全仮登記
(二)同出張所昭和三三年七月二八日受付第一〇二四七号停止条件付所有権移転の登記
の各抹消登記手続をせよ。
三、訴訟費用は、全部原告(反訴被告)の負担とする。
事実
≪省略≫
理由
一、本件消費貸借契約の締結等について、
被告千葉幸吉が、その妻千葉キヨ子を連帯債務者として、昭和三一年一二月八日、山本喜之から、二五〇、〇〇〇円(現実に受領したものは後記のとおり)を、弁済期昭和三二年三月七日の約束で借り受け、同被告所有の本件建物について抵当権を設定し、同月一日その旨の登記がなされたことは、原告と被告千葉幸吉との間に争いがない。被告竹内ミサヲはこの事実を争うのであるが、各当事者間に成立に争いのない甲第一号証原告と同被告との間で東京法務局麹町出張所作成の部分について成立に争いがなく、その他の部分については証人千葉キヨ子の証言によつて真正に成立したと認める甲第六号証(原告と被告千葉幸吉との間では成立に争いがない)の各記載、証人千葉キヨ子の証言および被告千葉幸吉の本人尋問の結果によると、右事実を認めることができる。原告は、右各契約は山本喜之と被告千葉幸吉との間で直接行われたと主張するのであるが、この趣旨に副う証人山本喜之の証言部分は、措信しがたく、右甲第六号証の記載、証人千葉キヨ子の証言および被告千葉幸吉の供述を総合すると、右各契約は、山本喜之と同被告の代理人千葉キヨ子との間で行われたと認めるのが相当である。(同人は同被告の意思表示機関に過ぎないとはいえない)。
そして証人千葉キヨ子の証言およびこれによつて真正に成立したと認める乙第二号証の記載によると、利息は一ヵ月五分の約定であり、これらの証拠と被告千葉幸吉の本人尋問の結果によると、同被告は、右消費貸借契約の際、利息一二、五〇〇円など合計金三〇、〇〇〇円を天引され、現実には金二二〇、〇〇〇円だけ受領したことが認められる。前記甲第一号証(金銭消費貸借公正証書)の記載には、利息の定めを年一割八分とする部分があり、また右甲第六号証には、利息を日歩四銭九厘と記載した部分があるけれども、本件消費貸借契約の際利息として天引されたものが、一ヵ月五分の割合によつて算出した金一二、五〇〇円であるところからすると、右各利率は、書面に表示するため、現実に約定された利率以外のものを記載したと認めるのが相当である。利息が一ヵ月三分の約定であり、現実に金二五〇、〇〇〇円を交付したという証人山本喜之の証言部分は、前記乙第二号証の記載に照らして、措信しがたい。
ただし、被告千葉幸吉は、右天引額の中には、本件契約締結の費用五、〇〇〇円があつたことを自認するから、利息制限法の規定にしたがつて、これと前記受領額との合計額二二五、〇〇〇円を受領元本とし、同法所定の利率年一割八分の割合によつて算出すると、その超過部分である金二一、六二五円が金二五〇、〇〇〇円の元本に充当されたものとみなされ、本件消費貸借契約の適法な元本は金二二八、三七五円となる。
二、代物弁済の予約の成否について、
(一) 原告はまず、本件代物弁済の予約が、山本喜之と被告千葉幸吉との間で、直接なされたと主張するのであるが、これに副う証人山本喜之の証言部分は措信しがたい。
(二) 次に、原告は、山本喜之が被告千葉幸吉の代理人千葉キヨ子と右予約をしたと主張するので考えてみよう。前顕甲第六号証(抵当権設定金員借用証書)には、被告千葉幸吉が山本喜之との間に、右抵当権設定の約束とともに、代物弁済の予約をした旨の記載があるところ、千葉キヨ子が、これに、同被告に代つて同被告の署名押印をなし、みずからは連帯債務者として、署名捺印したことは、原告と被告との間で争いなく、被告竹内ミサヲはこの事実を争うのであるが、同号証および証人千葉キヨ子の証言ならびに被告千葉幸吉の供述によると、右の事実が認められる。同被告は右借用証書を作成するについて、千葉キヨ子がこの記載のあることを知らなかつたと主張するので考えてみるのに、右甲第六号証および証人千葉キヨ子の証言によると、右借用証書は、金額とか弁済期等の部分を除き、その内容となる条項を印刷したものであり、山本喜之の使者から千葉キヨ子に交付されたものであること、同人はこれに右のとおり署名捺印したが、その際同人は右書面の内容を読んでみずまた右の使者から十分な説明も受けなかつたので、これに代物弁済予約の条項の記載のあることを知らなかつたことが認められる。しかしながら、かような事情は、それが意思表示のかしとして論じられる場合を除いて(被告千葉幸吉は、この点についてなんらの主張をしていない。)千葉キヨ子が、代物弁済予約の意思表示をしなかつたものであるということにはならないと考える。本件のような典型化した契約において、契約の当事者は、その約条の正確と万全とを期し、合わせて取引の際の手数を省くため、しばしば、契約の内容となるべき条項を印刷した書面を用いることは一般に知られているが、その場合、かりに当事者の一方がその内容を十分に予知していなかつたとしても、双方がその書面によつて契約することを合意したうえ、それに署名捺印した以上、ここに表示されている条項について、その意思表示をしたものとみなければ、取引の安全を期することができないからである。
ただし、千葉キヨ子が、右代物弁済の予約をすることについ、被告千葉幸吉を代理する権限をもつていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。
(三) それでは、表見代理の成否はどうであろうか。前顕甲第六号証、および乙第二号証、成立について各当事者間に争いのない甲第七号証の四、証人千葉キヨ子および同山本喜之の証言(ただし後者はその一部)ならびにこれらによつて真正に成立したと認める甲第七号証の三(原告と被告千葉幸吉の間では、署名部分について成立に争いがない)、被告千葉幸吉の供述の一部ならびに弁論の全趣旨によると、被告千葉幸吉は、昭和三一年一二月頃、新聞広告によつて金融業の神東商事株式会社を知り、金融を受けるため、千葉キヨ子に電話で依頼させたところ、同会社の石川某は、この話を同社役員の山本喜之に通じ、同人は早速、使者として同会社のもの二名を、被告千葉幸吉方に遣わし、担保となるべき本件建物を調査させたうえ、同被告に金融することを決めたこと、同被告は、当時病床にあつたので、本件建物を担保として金融を受けることについて、すべてを千葉キヨ子に一任し、いわゆる実印も預けていたが、山本喜之の使者が来たときにはみずからこれらの者と会つて、本件建物を担保として金二〇〇、〇〇〇円位借り受けたい旨の申し入れをしたり、その手続のために使用する白紙の委任状(甲第七号証の三)に署名のみをしたりしたこと、千葉キヨ子は、この委任状の同被告の名下にその実印を押し、同被告も同席するところで、山本喜之の使者が持つてきた借用証書(甲第六号証)に、前叙のとおり署名捺印して、本件消費貸借契約、抵当権設定契約および代物弁済の予約等について具体的な約定をなした(ただし同被告は右借用証書の内容等をみていない)うえ、これらに、あらかじめ用意しておいた同被告の印鑑証明書(甲第七号証の四)を添えて、山本喜之に交付したこと、(これらの書面を交付したことは、原告と被告千葉幸吉との間で争いがない。)山本喜之は、みずから、被告千葉幸吉と会つておらず、右借用証書の作成等の手続は、もつぱらその使者に任せたのであるが、これらの交渉中、同被告方を訪れたこともあること、そして山本喜之は、その後千葉キヨ子とともに、東京法務局麹町出張所前の司法書士鎌田敏夫の事務所を訪ね前記白紙委任状に、本件抵当権の設定登記とともに本件仮登記手続等を同人に委任する旨の記載をうけてその手続を委任し、これらの登記手続が終つた後、前記の金員を授受したこと、がそれぞれ認められ、証人山本喜之の証言のうち、山本喜之が本件契約前みずから被告千葉幸吉と会つて、代物弁済について話をしたという部分、および被告千葉幸吉の供述のうち、同被告が山本喜之の使者に会つたとき、本件建物につき、抵当権だけを設定する旨明言したという趣旨の部分は、措信しがたい。
ところで、今日、不動産を担保とする金融なかんずく巷の金融業者のそれにおいて、抵当権を設定するほか、これと合わせて代物弁済の一方の予約(または停止条件付代物弁済契約のなされることがあるが、抵当権の設定と合わせてする場合は、代物弁済の一方の予約とみるべきである)のなされる向きのあることは当裁判所も職務上しばしばみるところである。かような点からいえば、あるいは単に不動産を担保として金融を受けるという意思のなかには、代物弁済の予約の意思も存するという推定もしくは解釈が成り立ち、被告千葉幸吉が、本件建物を担保として金融を受けることとし、千葉キヨ子にその旨の代理をさせ、かつそのための委任状、印鑑証明書を山本喜之に対して交付させた前記認定の事実は、これによつて、同被告が、山本喜之に対して、千葉キヨ子に代物弁済予約の代理権をも与えたことを表明したといえるかも知れない。原告はかような意味から民法第一〇九条による表見代理の主張をしているのであるが、今日まだ世の一般人の認識の中に、単に担保という場合に、代物弁済の予約が含まれているとは到底考えられないから、本件について、右の表見代理が成立するとはいえない。ただ抵当権の設定とともに代物弁済の予約がなされるという前示の事実については、山本喜之も金融業に携わる者として、十分に知つていたことを推認するに難くないから、このことと、前記認定の事実とを合わせて考えると、同人には、千葉キヨ子が本件抵当権設定等の代理権の範囲を超えてした本件代物弁済の予約に関し、その権限があると信じるについて正当の事由があつたものといわなければならない。
三、代物弁済の予約が無効かどうかについて
(一) まず本件建物の、右予約当時すなわち昭和三一年一二月頃の価額について考えてみるのに、鑑定人平沼董治の供述およびこれによつて真正に成立したと認める乙第六号証によると本件建物の昭和三一年一二月一〇日頃の価値は、これに賃借人がない場合で、一、七六六、三〇〇円(うち借地権の価額七〇〇、四〇〇円)であることが認められる。
もつとも、原本の存在とその成立について各当事者間に、争いのない甲第一一号証は、昭和三二年八月五日頃の価額を一、〇〇六、〇〇〇円であるとし、鑑定証人平沼董治は、この価額は、借地権のそれが含まれたものであるという。(ただしその金額は明らかにしない。)そして、右乙第六号証によると前の評価額は、本訴提起後の昭和三四年三月三一日頃被告代理人の要請によつて評価したものであることが明らかであり、また被告竹内ミサヲの本人尋問の結果によると、本件建物は、昭和三二年一一月頃その一部を改造されていることが認められるのに反し、右甲第一一号証によると、その評価は、本件訴訟とは関係なく、しかも右改造前の昭和三二年八月頃本件建物の不動産競売事件についてなされたものであることが認められる。しかしながら、前者の記載は後者のそれに比較して、算出の根拠も具体的であるばかりでなく、被告千葉幸吉の本人尋問の結果によると、昭和三二年五月または同年九月頃、山本喜之は同被告に対し、本件建物を売却処分して本件債務を弁済しても、なお一、五〇〇、〇〇〇円ないし二、〇〇〇、〇〇〇円位は、同被告の手許に入るといつていたことが認められるから、乙第六号証による価額が甲第一一号証によるそれよりも、より実情に副うものであると考えざるをえない。甲第一五号証の三九六、五〇〇円は、右価額に比べると余りにも隔りが大きく、被告千葉幸吉の二、〇〇〇、〇〇〇円であるという供述も根拠が明らかでないから、いずれも採用できない。
なお、被告千葉幸吉の供述によると、右代物弁済の予約当時、本件建物には賃借人が居住していたことが窺われるところ、鑑定証人平沼董治の供述によると、建物に賃借人のある場合の価額は、それがない場合の価額に比較すると三割位少額であることが認められるから、本件建物の価額は、昭和三一年一二月当時約一、二〇〇、〇〇〇円程度であつたとみるのが相当である。
(二) 次に、証人千葉キヨ子の証言、被告千葉幸吉の尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、同被告はもと警察官として東京警視庁に勤務しており、痔疾や癌病のため、昭和三一年二、三月頃から同年八月頃まで警察病院に入院して治療を受けたが、その頃、もはや勤務にも堪えられないと考えて退職し、なお病床にあつたこと、本件建物の一部は当時文房具店として他人に賃貸していたが、同被告はこれを明け渡して貰い、その後を引継いで文房具商を始めようと考え、本件借受の金員は、退職のとき貰つた金三〇〇、〇〇〇円と合せて、その商品の全部を買いとり、明渡を求めるための資金としたこと、および同被告には、本件建物のほかには、財産もないことが認められ、これらの事実からすると同被告は、右金員借受当時、新しい生活を開拓する必要に迫られ、その資金に窮していたということができる。
ただし、被告千葉幸吉が主張するように、本件代物弁済の予約が公序良俗に反して無効であるというためには、債権者である山本喜之が、同被告のかような窮迫に乗じて契約さたものでなければならないと解せられるところ、証人山本喜之の証言ならびにこれによつて真正に成立したと認める甲第五号証および同第一四号証の一ないし六、ならびに原告本人の供述によると、山本喜之は被告千葉幸吉が期日後本件債務を弁済しないので、同被告およびその親族等に対して弁済を促がしたが、同被告らが弁済に応じないので、昭和三三年七月一四日頃本件債権とともに本件建物所有権移転請求権等を原告に譲渡したものであり、その間自分では本件弁済予約の完結の意思表示をしなかつたことが認められるから、この事実からすると、結果的には、同人は、はじめから、同被告が期日に元利金を完済しなかつたとき、本件建物の所有権を代物弁済として取得しようという考えはなかつたということもでき、窮迫に乗じたものであるといえないようにも思える。
しかしながら、一般に、不動産の価額の下落ということがほとんど考えられない今日においては、短期間の金銭消費貸借について、抵当権を設定するとともに代物弁済の一方の予約をすることは、債権者のみの利益をはかるものであるといつても過言ではない。もちろん、債権者のなかには弁済期が到来してもただちに完結の意思表示をすることなく、もつぱら債務者から利息または遅延損害金を徴することによつて利殖をはかるものもあろうけれども、その場合でも、債務者がこれらの金員を支払わなくなれば、ただちに完結権を行使して目的物の所有権を自己の手中に収められるか、またはこれらの権利を他人に譲渡して自己の資金を回収しうるのであるから、債権者の有利であることには変りがない。そして、何人も、僅かの債務のために高額の財産を失うことを肯んじるものはなく、この借入によつて巨利を獲得しうるような特殊の場合を除いてかような不利益の可能性のある契約の締結に唯唯諾諾たるものはないから、債権額と、代物弁済の目的となるべき不動産の価額との不均衡が著しければ、それだけで、債権者が債務者の窮状または軽卒もしくは無経験に乗じたものとみることも可能であろう。
本件の場合、適法な元金二二八、三七五円に対して、本件建物は、これに賃借人のあることを考慮に入れても約一、二〇〇、〇〇〇円であり、弁済期まで三ヵ月であるから、被告千葉幸吉が天引されたものを除いて、その余の利息を支払わなかつたとしても、山本喜之は弁済期において、元利合計約二三五、二二六円に対して一、二〇〇、〇〇〇円という約五倍強のものを取得することが可能であつたということができ両者の不均衡は著しいものといわなければならない。のみならず、証人山本喜之の証言によると、山本喜之は金融業のほか不動産の仲介業にも携わるものであることが窺われ、いわばその道の専門家であるのに反し、さきに示した本件契約締結の際の様子からすると、被告千葉幸吉および千葉キヨ子は無経験であり、かつ軽卒であつたともいえるのに、山本喜之またはその使者は、これらに十分に説明することなく本件代物弁済の予約の条項を印刷した書面に署名押印させてその予約をしたのであり、また本件金員の借受が、同被告の商売を始めるために借り受けたとはいえ、他に財産もなく、これによつてのみ生計を維持するものであつたことは、すでにみたとおりであるから、これらの事情からすると、山本喜之は被告千葉幸吉の窮迫または軽卒もしくは無経験に乗じたものといつて差支えないと思われ、本件代物弁済の予約は、公序良俗に反し無効であるといわざるをえない。
四、反訴請求について
本件仮登記および移転登記の存することは反訴の当事者間に争いのないところ、右にみたところによると、本件代物弁済の予約は無効であり、被告千葉幸吉は依然本件建物の所有者であるというべきであるから、原告は同被告のため、本件仮登記および移転登記の抹消登記手続を行なうべき義務がある。
五、結論
以上説示したとりであるから、本件代物弁済の予約が有効であることを前提とする原告の本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく、いずれも失当として棄却を免かれず、被告千葉幸吉の反訴請求は正当として認容すべきである。
よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 飯原一乗)